カンガルーケア報道 朝日新聞・毎日新聞
日本母乳哺育学会カンガルーケアとその問題点シンポジウムより 2009年9月27日

出産直後のカンガルーケア 新生児の呼吸停止など16例
朝日新聞 2009年9月28日


生まれた直後から赤ちゃんを母親の胸に抱かせる「カンガルーケア」(KC)を実施したところ、新生児の呼吸が止まるなどしたケースが全国で16例あったことが、27日に東京都内で開かれた日本母乳哺育(ほいく)学会学術集会で報告された。その後も増えているといい、報告者の渡部晋一・倉敷中央病院総合周産期母子医療センター長は、赤ちゃんの状態をきちんと観察するなどの実施基準を明確にすべきだと注意喚起した。

 KCは、母乳育児促進に有用とされ、広く行われている。新生児医療の専門医のグループが昨年全国205の病院を調査。16例のうち1人が死亡、4人が植物状態という。渡部センター長はうち3例について説明。KC中に赤ちゃんの呼吸が止まるなどしているところを発見されたが、いずれも赤ちゃんの状態が観察されておらず、事前説明も母親には行われていなかったという。「KCは推進したい。だが、どう実施するかだ」と話した。

 長野県立こども病院の中村友彦・総合周産期母子医療センター長も「(正常出産でも)出生直後は呼吸循環状況が危機的な状況となる可能性が高いことを認識して実施すべきだ」と強調した。



カンガルーケア:安心への模索/上 母の胸の上、心肺停止
毎日新聞 2009年12月9日 東京朝刊 元村有希子、須田桃子


出生直後の赤ちゃんが、母親の裸の胸の上でひとときを過ごす「カンガルーケア」。「赤ちゃんが落ち着く」「母乳の出がよくなる」といったメリットが指摘される一方、ケア中に重体に陥る事故が起きていることは知られていない。安易な拡大を心配する医療関係者の間では、事故を防ぐための取り組みが始まった。

 ◇分娩室離れた助産師 回復ないまま4年

 05年11月1日午前6時11分。関東地方の大学病院で、早乙女みどりさん(仮名、当時38歳)は女児を出産した。体重3090グラム。へその緒を切ると、助産師はみどりさんの裸の胸の上に裸の赤ちゃんを乗せた。カンガルーケアのスタートだ。

 夫の浩さん(同、当時36歳)は、様子をビデオに撮った。親類に連絡するためその場を離れ、戻った時には様子が一変。看護師が慌ただしく出入りする分娩(ぶんべん)室から、赤ちゃんの姿は消えていた。医師は「ケア中に心肺停止状態となり、脳が一時的に酸欠状態となった。新生児集中治療室(NICU)で治療する」と説明した。

 4歳の誕生日を迎えた今も、娘は同じNICUにいる。人工呼吸器を常に装着し、栄養をチューブから入れる。呼びかけに応えることもなく、担当医は「回復の見込みは低い」と話す。

 夫婦にとって最初の子。病院から勧められ、カンガルーケアを希望した。助産師は処置が終わると別の出産に移動し、分娩室には親子3人だけが残された。ケアを始めて約50分後、「そばにいられずごめんなさい」とわびながら戻って来た助産師が、赤ちゃんの異変に気づいた。

 倉敷中央病院小児科部長の渡部晋一医師は今年9月、「日本母乳哺育(ほいく)学会」で事故例を報告した。NICUを備える全国205施設を対象に「カンガルーケア中の事故による重症例を受け入れた経験」を集めたところ、16例が判明した。

 それらには共通点がある。(1)事前に十分な説明をしていない(2)誕生直後に異常がないことを確認しただけで始めている(3)助産師や看護師など、新生児ケアのプロがそばにいない−−。

 早乙女さんの場合、カンガルーケアと事故との因果関係は今も不明なままだ。しかし、早乙女さん夫婦は「親は初心者で何が異常かわからない。こんなつらい経験は私たちだけで終わりにしてほしい」と訴える。

 ◇「人生で最も大変な時間」

 渡部医師とともに調査に携わった長野県立こども病院の中村友彦・総合周産期母子医療センター長は「誕生直後の赤ちゃんは、人生で最も大変な時間を過ごしていると言える」と話す。

 誕生前の赤ちゃんは、自分の肺で呼吸せず、母親の胎盤からへその緒を通して酸素をもらっている。その仕組みが誕生から約20分間で肺呼吸に切り替わる。肺の中にたまっていた液体がうまく排出できず、一時的に呼吸が多くなるなど、さまざまなトラブルの芽も抱える。こうした環境のさなかに実施するカンガルーケアは、ちょっとした異変も見逃さないプロの関与が不可欠だ。

 中村医師は「カンガルーケアが母乳保育に有効であることは確か。だが、赤ちゃんがケアに適しているか医師が健康状態を確認し、開始後も生後約20分間は特にしっかり観察する必要がある。さらにトラブル発生時に迅速に対応できる体制を整えるべきだ」と指摘する。

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 ◇カンガルーケア

 70年代、保育器が不足する南米コロンビアで、未熟児の赤ちゃんの体温を維持するために始まったと言われる。その後、北欧などで「母親のホルモン分泌を促し、母乳の出が良くなる」などの効果が確認され、先進国にも広がった。日本では90年代、早産による未熟児を看護するNICUが導入。その後、正常分娩にも取り入れる病院や産院が増えた。坂口けさみ・信州大教授が分娩設備のある医療機関で昨年実施した全国調査(回答率40.7%)では7割の施設が導入していた。ケアの時間は30分〜2時間程度と施設により異なる。



カンガルーケア:安心への模索/下 深めるきずな、医療者支え
毎日新聞 2009年12月16日 東京朝刊 須田桃子

◇母子の「特別な時間」 産科医ら指針作成
 「赤ちゃんの重みや体温を感じた時、陣痛と疲労でマイナスだった気持ちが、プラスに変わっていった」。横浜市旭区の聖マリアンナ医科大横浜市西部病院で11月に出産した小島麻美さん(24)=同市泉区=は、長男凌ちゃんのカンガルーケアを笑顔で振り返った。

 2時間のケア中、凌ちゃんは麻美さんの胸の上で穏やかな表情を見せ、もぞもぞ動いたり、周囲を見回すような仕草を見せた。麻美さんは「やっと会えたね」と話しかけ、夫、淳さん(26)が傍らで見守った。「あっという間に過ぎました」

 同病院は90年代半ば、正常分娩(ぶんべん)の母子を対象にカンガルーケアを始めた。生まれたばかりの赤ちゃんは生後しばらく意識が鮮明な覚せい状態が続き、母親の五感も研ぎ澄まされている。「感受期」と呼ばれる特別な時間だ。周産期センター副センター長の笹本優佳医師は「感受期に母子がしっかりと出会うことで強いきずなが結ばれ、その後の育児の基礎になる」と話す。

 同病院ではへその緒を切り、体をふいたらすぐに赤ちゃんを母親の胸の上に乗せる。羊水の濁りなど心配な点があれば、小児科医が赤ちゃんを診察し可否を判断する。ケア中は助産師らが母子の様子に目を配る。万一に備え、蘇生に必要な器材もそろう。スタッフが心がけるのは、母子が安心して過ごせる環境作りだ。飯田ゆみ子・看護副部長は「見張られているのではなく、見守られていると母子が感じられることが大切」という。

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 広がるカンガルーケア。しかし、ケア中に赤ちゃんの容体が急変し、重い後遺症が残る症例も報告されている。ケアとの因果関係は不明だが、発見が遅れたケースが目立つ。ケアの実施基準や方法も施設によってまちまちという現状の中、より安全な実施方法の模索も始まっている。

 全国でケアに取り組む産科医や小児科医、助産師らの有志は今年5月、ガイドラインを作った。健康な赤ちゃんには、家族への十分な事前説明と血液中の酸素などの機械によるチェック、新生児蘇生に熟練した医療者による観察など安全性を確保する。そのうえで生後30分以内にカンガルーケアを始め、少なくとも2時間続けることを勧めている。関係者からの意見を取り入れて年明けにも完成版を公表する予定だ。

 日本周産期・新生児医学会は、「すべてのお産に新生児蘇生法をマスターした要員が立ち会う」ことを目標に、医師、看護師、助産師らが対象の講習会を07年から開いている。これまでに1万3000人が受講した。

 「蘇生の準備で必要なものは?」「赤ちゃんのチェック項目は?」。今月12日、東京都内で開かれた講習会では、受講者が指導者の質問に答えながら、人工呼吸や心臓マッサージを練習した。実技を指導した東京医科歯科大の西田俊彦助教(小児科)は「健康に見える赤ちゃんでもトラブルは起こりうる。対応できるスタッフがいることで、カンガルーケアはもっと安全になる」と話す。【須田桃子】

 ◇ケア中「愛情ホルモン」分泌
 生後早期のカンガルーケアには、母子のきずなを深め、母乳育児の実施率が上がるなど、母子双方にメリットがあるとされる。

 堀内勁(たけし)・聖マリアンナ医科大特任教授によると、ケア中の母親の体内ではオキシトシンというホルモンが盛んに分泌される。オキシトシンは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、母乳の分泌を促し、赤ちゃんとの親密感を増す。赤ちゃんの体内でもオキシトシンが分泌される。ケア開始後30〜50分で、母親の乳首を探し当て、自ら吸い始める赤ちゃんもいる。

 生後24時間以内にカンガルーケアを実施したグループと、母子が離れていたグループを比較した30件の研究を分析した米国の研究者の報告によると、実施グループの方が生後1〜4カ月の母乳保育率が高く、生後数日の赤ちゃんへの接触や語りかけが多く見られた。赤ちゃんは、実施グループの方が泣く回数が少なく、体温や呼吸が安定していたという。