保育器で元気に

赤ちゃんは震えている
 満期(37週以降)で生まれた2500㌘以上の正常な赤ちゃんは保育器に入れないのが一般的な新生児管理。しかし、1983年の開業以来、保育器による新生児管理を提唱し続けている医師が福岡市にいる。久保田産婦人科麻酔科医院(福岡市中央区平尾2丁目)の久保田史郎院長(61)。出生直後の保温により、生後1時間目に糖水を飲んでも生理的と言われる初期嘔吐は、ほとんど見られなくなった。久保田医師は「生後2時間の保温と母乳分泌が少ない生後数日間の栄養不足を糖水と人工ミルクで補うことで、難聴などの発達障害の原因となる低血糖や病的黄疸を防ぐことができる」と学会などで発表してきた。 

「オギャーオギャー」。11日午前11時前、福岡市中央区の久保田産婦人科麻酔科医院で一人の女児が誕生した。女児を取り上げた久保田史郎院長(61)は母親に女児を抱かせると、すぐに保育器の中へ寝かせた。保育器内温度は32℃に保たれ(冬は34℃)、器内には酸素が流れていた。数分もすると泣き声の激しさは落ち着き、ギュッと握りしめていた手の指を少しずつ開き始めた。10分後には目をパチパチとし、元気よく手足を動かす。体全体の血色がとても良く、女児の祖母は「普通もっと青白いけど、いい色ねえ」。出産から2時間後に保育器を出て新生児室のベッドに移った。

 通常、生まれたばかりの赤ちゃんは、しばらくの間手足をギュッっと縮め、激しく泣き続ける。体温管理に厳しい麻酔科から産婦人科に進んだ久保田医師は、その様子を初めて目にした1972年、「赤ちゃんが寒がっている」と直感した。
 胎児は約37.5℃の母親の子宮内で過ごすが、生まれ出た分娩室の室温は24~26℃。大人にとっては快適だが、赤ちゃんはいきなり約13℃も低い空気にさらされることになる。身を縮めることで放熱を防ぎ、泣いて全身の筋肉を大きく動かすことで熱を作りだそうとしているのだ。低体温が長く続くと熱を作り出そうと多くの酸素と糖分が消費され、脳に障害を及ぼす低血糖症に陥る危険性がある。そこで久保田医師は、生まれた直後の赤ちゃんを保育器内で保温し、体温調節や血糖値への影響を調べた。
 その結果、通常の管理では体温は2~3℃下がるが、保育器内では1℃しか下がらず恒温状態に早く移行することを学会誌に発表した。保温によって消化管の血行がよくなり “生理的”と言われる初期嘔吐がなくなった。消化管の機能を司る自律神経機能は恒温状態ではじめて正常に発揮するからだ。同院では生後1時間目に5%糖水を、母乳の出が悪い生後数日間は基礎代謝量(50kcal/kg/日)に見合うカロリーを人工ミルクで補っている。栄養が不足すると赤ちゃんの脂肪が燃え、代謝産物である遊離脂肪酸が血中に増え黄疸が強くなることが分かっているからだ。また生後2時間の保温と1時間目に糖水を飲ませることで低血糖を完全に予防することが出来ると言う。我国のお産の現場では、元気に生まれた赤ちゃんを保温のために保育器に入れ酸素を流したり、糖水を飲ませる習慣はない。

 昔、産婆さんは生まれたばかりの赤ちゃんを産湯に入れ冷えた体を温め、母乳が十分に出始めるまでの期間、もらい乳をして飲ませた。久保田医師は「昔の産湯が現代の保育器の役割を、乳母が糖水や人工乳の役割を果たしていたのでは」と指摘する。

 久保田医師は開業以来22年間で10.500人の新生児を取り上げてきた。難聴などの発達障害の危険因子である病的黄疸(総ビリルビン20mg/dl以上)は開業以来ひとりも出ていないという。一般に黄疸は出るのが当たり前と考えられているが、保温と生後数日間の栄養不足をなくす管理で病的黄疸を防ぐことが出来る。全身が黄色になる重症黄疸と違って、症状が出ないために見逃され易い低血糖による発達障害を防ぐ工夫が、保育器内収容と糖水を飲ませることだと説明する。
 わが国では糖水や人工ミルクを飲ませない完全母乳栄養法が推進されているが、出生直後の低体温と低血糖に要注意と警鐘を鳴らす。原因不明の発達障害児が増える今、「赤ちゃんにも予防医学の導入を急ぐべきだ」と訴える。

山蔭道明・札幌医科大学(麻酔学講座)の話 
赤ちゃんが震えているというのはその通り。成人が衣服をつけずに快適に過ごせる環境温度は28~29度だが新生児の場合は32℃、未熟児に近づくほど高くなると言われている。だから分娩直後に保育器内で十分に母体外環境に慣らし、水分摂取や栄養摂取が可能になるまで積極的に保温することは理にかなっている。手術中の麻酔管理でも体温管理が術後の合併症を予防する。同じように新生児の体温管理によってさまざまな併発症の予防は可能なはずだ。

茨聡・鹿児島市立病院(新生児センター長)の話 
新生児は寒冷刺激を受けると血管が収縮し、腸や肺の血流が悪くなる。出生によって新生児はただでさえストレスを受けているのに、さらに寒さによるストレスが加わるのは良くない。確かに正常に生まれた新生児の多くは体温管理をしなくても大丈夫だが、中には低血糖や重症黄疸に陥ってしまう子も数%はいる。保温するだけで防げるのだから、産婦人科医や助産師は体温管理についてもっと勉強し、保温の必要性を知るべきだ。

9/15/2006
毎日新聞記者 米岡絋子