私の工夫  ー診療へのヒントー
 20世紀後半の周産期医療の発展によって、日本の新生児死亡率は2000年実績で1.8(出生1000人当たり)にまで低下している。この数字だけをみると、日本の周産期医療は世界でトップクラスといえるが、その一 方で生殖補助医療技術(ATP)による多胎児の増加や、一部では発達障害児が増加傾向にあるなど、新たな問題も浮上している。
 こうしたなか、久保田産婦人科医院(福岡市)の久保田史郎院長は、母児にとってより安全で自然な出産をめざし、予防医学的見地から、妊婦の難産防止や新生児管理などにさまざまな工夫を行い、成果をあげている。
 久保田氏が一般的な産婦人科医と異なるユニークな点は、大学を卒業後、無痛分娩を習得するために麻酔科で勉強したこと。そして、麻酔科から産婦人科に移り、周産期医療を専攻してみると、生まれたばかりの新生児は体が青白く、身を縮めて泣いていた。
 周産期のスタッフは、それを単なる生理的現象と片付けていたが、久保田氏は麻酔科医としての視点から、出生直後の新生児の全身管理に疑問を感じた。約37.5℃の子宮内から外界に出てきた新生児にとって、分娩室の室温(通常25〜26℃)は寒すぎる環境にあり、低体温ショックに近い状態に陥るのではないか。
 そう考えた久保田氏は、生まれたばかりの赤ちゃんを生後1〜2時間、保育器に入れて暖めてみた。すると青白かった皮膚がピンク色に変わり、赤ちゃんは縮めていた手足を伸ばし、指しゃぶりを始めた。保温すると、出生後1時間後には砂糖水が飲めるようになり、新生児早期に一般的にみられる初期嘔吐は発症しなくなった。
◎早期授乳が可能に
 以後、久保田氏は新生児の体温調節機構の研究取り組み、1983年に開業してからは、妊娠から分娩までの母児の記録をすべてデータベース化した。その結果、新生児の体温管理として、分娩直後の2時間を保育器内で保温(前半34℃、後半30℃各1時間保温)することが最適との結論に達した。
 この方法で分娩直後の新生児の低体温を防止すると、従来よりも早期授乳が可能となり、新生児の栄養不足が改善された。新生児早期の体重減少は出産後の数日間、母乳が十分分泌しないことと関係しているが、それに伴うカロリー不足を超早期経口栄養法で補うことによって、発達障害児の原因となる著しい低血糖症や治療を要する重症黄疸が起こらなくなった。とくに最近6年間の約3000例の出産例では、治療(光線療法)を要する重症黄疸は1例も発生していないという。海外での母乳推進運動の広がりを受け、90年代以降、日本では一部で完全母乳哺育(ほいく)を進める運動が行われている。しかし、出生直後の児の栄養補給を母乳だけに頼ると、栄養不足は避けられない。久保田氏も母乳哺育の有用性は認めているが、栄養不足が続けば赤血球が壊れ、黄疸の重症化などを招く危険性があるため、出生直後の新生児管理として、前述のような保温と超早期栄養法が有用と考えている。
◎SIDSの解明にも 
 また最近では、久保田氏の新生児の体温研究は、乳幼児突然死症候群(SIDS)の原因解明にもつながっている。SIDSはいまだ原因不明だが、久保田氏が調べてみると、SIDSには乳幼児の高温環境との関連を示唆する論文が多いことがわかった。
 そこで、久保田氏はSIDSを体温調節機構の面から検討してみた。その結果、SIDS発症に関し、次のような仮説を導き出した。
 うつ伏せ寝や着せすぎなど、外的環境因子が原因となって高体温(うつ熱)状態になった乳幼児は、体温を正常に保つ手段として、熱産生を抑えるために睡眠や筋緊張低下などの行動を余儀なくされる。この恒温動物としては当たり前の産熱抑制機構が長時間続くと、眠りから覚めずに呼吸が抑制され、低酸素血症となって最悪の場合、死に至る。それがSIDSの正体ではないか。
 この仮説は学界ではまだ本格的に議論されていないが、久保田氏は乳幼児の高温環境がSIDSの危険因子になっていると確信しており、日常生活で帽子、靴下などの着せすぎによる乳幼児の暖めすぎに警鐘を鳴らしている。このほか、久保田氏がより安全で自然な出産をめざして採用しているものに、無痛分娩と妊婦水泳がある。無痛分娩は、最も痛みの激しい分娩第2期の痛みをとる陰部神経ブロックを採用している。陰部神経ブロックは、出産の痛みをすべてとる硬膜外麻酔よりも安全性が高く、産道の筋弛緩作用に優れているため、少ない娩出力でスムーズに分娩できるという安産効果がある。妊婦へのアンケート調査によってニーズを確認した後、同院ではすべての出産に陰部神経ブロックを施行しているが、これまで麻酔に伴う合併症は1例も発生していないという。
◎効果をあげる妊婦水泳
 久保田氏がその安産効果を再認識しているのが、83年から導入している妊婦水泳。同院では、過去20年間に約3500人の妊婦が妊婦水泳を体験しているが、安産が増え、妊娠中毒症や常位胎盤早期剥離(早剥)は発生していない。その理由について久保田氏は、妊婦の生活習慣病の改善と、温水プールでの水泳による末梢血管拡張作用と利尿効果が妊娠中毒症を防止したと指摘。また、母体環境の改善が子宮内環境(子宮胎盤循環)をより正常化し、早剥を予防したのではないかと推測している。
 こうした種々の周産期管理の工夫は、前述したように優れた臨床効果を生んでいるが、久保田氏は「今後も『正常をより正常に』という予防医学的視点を大切に、母児にとってより安全で自然な出産を実現していきたい」と述べ、さらなる周産期医療の向上に意欲を燃やしている。
Japan Medicine No.534  2003年4月14日