厚労省は、「授乳・離乳の支援ガイド」の見直しを!

―カンガルーケア中の心肺停止・発達障害・NICU不足を防ぐためにー

久保田産婦人科麻酔科医院
院長 久保田史郎
平成23年3月8日

はじめに
近年、日本では生後30分以内のカンガルーケア中に、突然のチアノーゼ・気道閉塞・心肺停止などの事故が相次いでいる。国(厚労省)は、カンガルーケアの実施に関する質問に対しカンガルーケアと事故(チアノーゼ・気道閉塞等)との因果関係は不明と答弁した(答弁書第57号)。しかし、真相は、寒い分娩室で出生直後のカンガルーケア・母子同室を推奨した日本の医療制度(授乳・離乳の支援ガイド)に問題がある事が分った。カンガルーケア中に心肺停止などの事故が多発する理由は、国が勧める母乳育児支援策(カンガルーケア・完全母乳・母子同室)を優先し、出生直後の新生児にとって最も危険な「低体温症」を防ぐための体温管理(保温)を怠ったからである。

1、出生直後の低体温症が危険な理由
低体温症が危険な理由は、体温そして呼吸循環などの生命維持を司る自律神経機能の特性にある。その特性とは、恒温動物である人間が急激な環境温度の変化(寒冷刺激)に遭遇した時、自律神経は呼吸循環などの生命維持の安全より、体温の恒常性を保つための体温調節機構を優先して作動する事である。例えば、赤ちゃんが温かい子宮内(38℃)から寒い分娩室(24〜26℃)に生まれると、自律神経は体温の恒常性(37℃)を維持するための体温調節機構(放熱抑制+産熱亢進)を優先的に作動する。寒い分娩室で放熱抑制機構つまり末梢血管収縮(冷え性)が長時間に及ぶと、呼吸循環・消化管・肝臓・腎臓などの諸臓器の循環血流量は減少し、胎内から胎外生活への適応過程に非生理的な現象(適応障害)を合併する。カンガルーケア中の心肺停止などの事故原因が見つからない理由は、チアノーゼ・呼吸障害・心肺停止などの原因が通常の病気ではなく、出生直後の低体温症(末梢血管収縮)が二次的に呼吸循環障害を引き起こしているからである。即ち、カンガルーケア中のチアノーゼ・気道閉鎖・心肺停止などの事故は、出生直後の低体温症を防ぐための体温管理を怠ったために発症した体温管理ミス(医原性疾患)である。

2、早期新生児の低血糖症の原因と予防策
寒い分娩室で出生直後からカンガルーケアを行うと体温下降が強く、児は低体温症を防ぐ為に、放熱抑制(末梢血管収縮)と産熱亢進(筋肉運動=啼泣)によって恒温状態への移行を早めようとする。ところが、出生直後に体温管理(保温)を怠り、母乳以外のカロリー補給もせず、低体温症(産熱亢進状態)が長時間に及ぶと、熱産生に血中グルコースと酸素が大量に消費され、出生直後の一過性の低血糖から正常血糖値への自然回復が困難となる。このとき、低体温予防(保温)、栄養補給(糖分・人工ミルク)、酸素投与などの医学的管理を怠ると血中グルコースは枯渇し、やがて児は重度の低血糖症に陥り、ケイレン・筋弛緩・無呼吸・徐脈などの低血糖症に特有の症状が出現する。低血糖を見逃し治療が遅れ重度の低血糖症に陥ると、元気に生れた正常新生児でも間違いなく心肺停止に至る。低血糖症が危険な理由は、生命維持を司る自律神経能(交感神経機能)が機能不全に陥り、恒温動物にとって最も大事な体温調節機構が機能しなくなる事である。

一方、中等度の低血糖症つまり症状が表に出ない無症候性低血糖であっても、脳に永久的な障害を遺す危険性がある。無症候性低血糖症が怖いのは、症状が表に出てこないために発見が遅れる事である。低血糖症の問題点は、低血糖症が発達障害の原因であったとしても、血糖検査が行われていないために発達障害は原因不明の病気と診断されている事である。発達障害児の増加を防ぐ為には、母乳が十分に分泌するまでの生後数日間、とくに生後24時間以内の(無症候性)低血糖症を防ぐための医学的管理を積極的に行うべきである。当院が生後24時間以内の早期新生児に糖水・人工ミルクを飲ませる理由は、低血糖症・低栄養を防ぐためである。何故ならば、新生児が生命を維持するために必要な最低限のカロリー摂取量、つまり基礎代謝量(50kcal/kg/day)に相当する母乳はほとんど出ておらず、母乳以外の糖水・人工ミルクを飲ませなければ児は飢餓状態に陥り、脳に障害を与える危険性があるからである。

3、厚労省の「授乳・離乳の支援ガイド」の問題点
厚労省が平成19年に策定した「授乳・離乳の支援ガイド」には、出生直後の低体温症、(無症候性)低血糖症、低栄養、重症黄疸を防ぐための医学的管理上の注意事項が全く無い。それどころか日本の助産師の多くは、赤ちゃんは「3日分の水筒と弁当」をもって生れてくる、だから母乳以外の糖水・人工ミルクを飲ませる必要はない、と主張する。科学的根拠のない間違った水筒と弁当説は、発達障害の危険因子である低血糖・低栄養・重症黄疸の赤ちゃんを増加させた。動物では、生後数日間の低栄養・重症黄疸は脳に障害を遺すと報告されているが、人間の赤ちゃんには動物以上に出生直後の低血糖・低栄養・重症黄疸を防ぐための医学的管理(予防医学)を厳重に行うべきである。ところで、新生児の重症黄疸は出て当たり前の様に考えられているが、出生直後から基礎代謝量に見合うカロリーを飲ませれば、治療を要する重症黄疸は殆んど出ない。厚労省の「授乳・離乳の支援ガイド」を忠実に実行すれば、発達障害の危険因子である低血糖症、重症黄疸の赤ちゃんを増やす事は間違いない。

4、発達障害の発生頻度に地域間較差
WHO/ユニセフの「母乳育児を成功する為の10カ条」は、児に安全か?
日本の周産期医療の問題点は、厚労省がカンガルーケア中の心肺停止などの事故報告を受けたにもかかわらず、「母乳育児を成功する為の10カ条」の安全確認を怠り、母乳育児の推進運動を積極的に後援している事である。母乳育児支援(完全母乳+カンガルーケア+母児同室)の問題点は、カンガルーケア中の医療事故だけではない。福岡市では、完全母乳・生後30分以内のカンガルーケアが普及した時期に一致して、発達障害児が驚異的に増加している事である。発達障害の原因は遺伝説・ワクチン説など諸説あるが、見逃せない点は、日本の政令都市間で発達障害の発生頻度に大きな違いがある事である。寒い札幌市の発生頻度は、他の政令都市(京都、名古屋、横浜)に比べ約1/10以下と極端に少ない。その理由は、寒い札幌では出生直後の低体温症防止に濃厚な医学的体温管理(保温)が行われている事によると考えられる。発達障害の原因が先天的な遺伝病であるならば、政令都市間で発達障害の発生頻度に極端な違いが出る筈がない。福岡市では発達障害児の増加率は、この20年間で約10倍に増加している事、発達障害の発生頻度に地域差がある事などから推察すると、発達障害の原因は、先天的疾患(遺伝病説)は否定的である。福岡市では母乳育児推進運動(完全母乳・カンガルーケア)がスタートしてから、発達障害児が驚異的に増加している。国・市は発達障害の原因究明のために周産期側からの調査研究班を立ち上げ、早急に対策を講じるべきである。

5、日本の分娩室は大人に快適、出生直後の赤ちゃんには寒過ぎる
日本のお産の常識は、厚労省の母乳育児推進運動によって大きく様変わりした。昔の「産湯」の習慣は姿を消し、生後30分以内のカンガルーケア(母子皮膚接触)が当たり前となった。昔の産湯の目的は、お湯を沸かす事によって部屋の温度を上げ、出生直後の寒冷刺激を少なくし低体温症の赤ちゃんを防ぐ為であった。ところが、現代の日本の分娩室は空調設備によって、赤ちゃんではなく大人に快適な環境温度(24〜26℃)に調整されている。赤ちゃんを管理する大人(医療従事者)が、現代の日本の分娩室が赤ちゃんには寒過ぎる環境温度である事を見落としている。その寒い分娩室で出生直後にカンガルーケアを普及させた事が、低体温症の赤ちゃんを増やす結果を招いた。カンガルーケア中のチアノーゼ、陥没呼吸、呻吟、過呼吸などの呼吸障害、心肺停止などのトラブルは、低温環境下における体温調節機構、つまり放熱抑制を目的とした持続的な末梢血管収縮が引き金となって発症した肺高血圧症が原因である。肺高血圧症とは、子宮内の胎児循環から胎外生活への肺循環への適応過程における呼吸循環器の適応障害である。本症の予防策は、出生直後の低体温症を防ぎ、呼吸循環動態が安定する恒温状態への移行を早めるしか、他に方法はない。肺高血圧症が他の病気と異なる点は、生まれつき呼吸器・循環器に異常があったのではなく、出生直後の急激な環境温度の低下(寒冷刺激)による低体温を防ぐための体温調節機構(放熱抑制=末梢血管収縮)が引き金となって発生した呼吸循環器疾患である。

6、出生直後のカンガルーケア中の事故は肺高血圧症が原因
6−1 肺高血圧症のメカニズム:新生児の冷え性(末梢血管収縮)に注意
寒い分娩室(部屋)で体温管理(保温)を怠り、母子皮膚接触(カンガルーケア)を長時間すると、児は自律神経能の働きによって放熱を防ぐために末梢血管収縮を強いられる。新生児にとって末梢血管収縮(冷え性)が危険な理由は、@下肢から心臓に戻る静脈還流の流れを妨げることによって、心拍出量が減少し、低血圧を来たす、A末梢血管収縮は、手足だけでなく肺動脈血管も同時に収縮し、右心室から肺動脈に流入する血液の流れを妨げるからである。肺動脈は末梢血管収縮によって肺血管抵抗が増大する為に、心臓(右室)から肺動脈に駆出された血液は、血管抵抗(圧)の少ない胎児期の動脈管を介して大動脈に流入する。カンガルーケア中にチアノーゼが出る理由は、静脈血が肺でガス交換されないまま大動脈に直接流入するからである。即ち、静脈還流減少によって(体)血圧が下がり、肺血管抵抗増大によって肺血圧が上昇すると、肺血圧が体血圧より高くなり、肺高血圧症が成立し、最初にチアノーゼが出現する。この時、保温と酸素吸入を怠ると、低酸素血症が次第に強くなり、肺高血圧症の病態をさらに悪化させる。カンガルーケアを出生直後から積極的に行なう施設に肺高血圧症が多い理由は、母子皮膚接触を優先して、体温管理を怠り低体温症(冷え性)の赤ちゃんを増やしたからである。

6−2 ガルーケア中の事故(心肺停止)が生後1時間前後に集中する理由
肺高血圧症は最も危険な新生児の呼吸循環器疾患であるが、低体温症を防ぐための体温管理(保温)を怠らなければ、正常成熟新生児の肺高血圧症は防止できる。低出生体重児に肺高血圧症の事故事例の報告が無い理由は、2500g以下の未熟児は低体温の予防に、酸素が流れる温かい保育器内に収容し、点滴(糖液)で栄養補給をするからである。正常成熟新生児にカンガルーケア中のトラブルが多発する理由は、元気に生れた赤ちゃんには母乳育児支援が積極的に行われるからである。カンガルーケア中の事故(心肺停止)が生後1時間前後に集中する理由は、その時間帯が、@下肢(足底部)の体温が最も下降し手足が冷たくなる時期(末梢血管が最も収縮)、A血糖値が最も下降する時期、B呼吸・循環動態が最も不安定な時期、C自律神経機能が不安定な時期、つまり、新生児にとって最も危険な時期に、素人の母親に出生直後から母子皮膚接触をさせ、児の全身管理を母親に任せたからである。

7、カンガルーケア中の事故原因について、国の答弁
国(厚労省)は出生直後の新生児は呼吸動態及び循環動態が不安定であるからと、恰も新生児に問題があるかの様な報告をしている。しかし、出生直後の赤ちゃんに快適な環境温度(32〜34℃)を準備し、恒温状態への移行を早める体温管理を行えば、自律神経の働きによって呼吸動態及び循環動態は安定し、カンガルーケア中の事故を防ぐ事が可能である。当院では1983年の開業以来、出生直後の低体温症を防ぐための体温管理(保育器内収容)を27年間行ってきたが、肺高血圧症でNICUに搬送した赤ちゃんは0人(約12,000人中)である。

8、カンガルーケア中の事故を防ぐための、新生児科医の安全性の確保について
カンガルーケアを推奨する新生児科医グループもカンガルーケアの安全性の確保の必要性があると、周産期学シンポジウム誌(2010年)に報告している。その安全確保とは、カンガルーケア中は機械的モニタリングを行う、蘇生に熟練したスタッフの存在(新生児蘇生トレーニングの習得)が必要と、述べている。問題は、機械的モニタリングで異常が見つかった時には、既に肺高血圧症の前兆であり、肺高血圧症の病態が完成した時には新生児蘇生トレーニングを習得した新生児科専門医であっても、脳障害を遺す事なく肺高血圧症を正常に回復させるのは先ず困難である。肺高血圧症に特効薬はなく、呼吸循環機能が正常に回復するまでの間に、低酸素性脳症・低血糖症が進み、脳に永久的な障害を遺すからである。つまり、肺高血圧症から赤ちゃんを守る為には、肺高血圧症の早期診断・早期治療では遅く、肺高血圧症にならない様に出生直後の低体温症を防ぐための医学的体温管理(保温)をするしか、他に方法はない。

9、日本の周産期医療の問題点は、赤ちゃんを事故から守る予防医学の欠如
寒い分娩室で臍帯が切断され栄養摂取が未だ出来ない赤ちゃんにとって最も注意すべき点は、母乳育児のためにカンガルーケアをいかに早く、長時間するかではない。出生直後からの体温下降をいかに防ぎ、いかに早く児を恒温状態に安定させ自律神経機能を正常に作動させるかが新生児管理の基本である。出生直後の自律神経機能が最も不安定な時期に、最も栄養(グルコース)と酸素が必要な時期に、生後30分以内のカンガルーケアと糖水・人工乳を飲ませない完全母乳栄養法は、児の安全性を無視した危険な医療行為である。日本母乳の会は、生後30分以内のカンガルーケアと完全母乳栄養を実践する施設を赤ちゃんに優しい病院(BFH)と認定し、厚労省はBFH制度を積極的に支援する。カンガルーケア中の事故はBFHに多発している事から、厚生労働省はBFHが本当に赤ちゃんに優しい病院かどうかを調査すべきである。カンガルーケア中の事故、発達障害を防ぐためにも、国は.母乳育児の支援ガイドを早急に見直し、児の安全と健康を第一に考え、母乳育児支援(完全母乳、カンガルーケア、母子同室)の長所だけでなく、それらの短所も国民に報告するべきである。国の「授乳・離乳の支援ガイド」の見直しがなければ、NICU不足・カンガルーケア中の医療事故、発達障害児の増加に歯止めが掛からず、日本の少子化・NICU不足はさらに加速すると予測する。国は、赤ちゃんを医療事故・発達障害から守り、またNICUに入院する赤ちゃんを減らしNICU不足を改善する為にも、現行の母乳育児支援策を見直し、予防医学を優先した授乳・離乳の支援ガイドに改訂すべきである。日本の周産期医療の問題点は、正常(元気)に生れた赤ちゃんが、より正常(健康)に育つためのガイドライン(予防医学)が欠如している事である。